TOP

【後編】常識のその先へ。ホップの里に灯る未来への挑戦譚【遠野ホップ収穫祭2025】

※本記事は、【中編】祝祭の熱狂から、遠野の空に伸びる緑の聖地へ【遠野ホップ収穫祭2025】の続編です。


「遠野の夏の景色を変えてくれてありがとう」
祝祭を支える人々の想い

夕暮れの空の下、あちこちから響く笑い声。遠野で働く仲間と乾杯!

3日間で16,500人。過去最高を記録した来場者数は、このイベントが年々注目を集めていることの何よりの証拠。この祝祭を率いる、遠野ホップ収穫祭の実行委員長であり、株式会社BrewGood代表の田村淳一さんは、この結果をどう受け止めているのでしょうか。

実行委員長の田村淳一さん(左)とGOOD HOPSの醸造責任者、村上敦司さん(右)

田村さん「今年も多くの方と共に、遠野ホップの収穫をお祝いできたことを本当にうれしく思います。想定を大きく上回る来場者数という結果は、年々私たちの取り組みに注目し、応援してくださる方が増えていることの表れであると感じています。所感としても市外からの来場者が大幅に増えたと感じています。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました」。

例年は土日2日間の開催でしたが、今年は初の試みとして金曜日に前夜祭を開催。
地域にゆかりのあるアーティストや演者を招き、より「地域らしさ」を感じられるコンテンツを企画したほか、会場レイアウトを見直してスペースにゆとりを持たせ、フード出店数を11から14店舗に拡大。

23日朝、開場前の最終確認

2025年春に開業した新醸造所「GOOD HOPS」も出店し、祭りをさらに盛り上げました。
こうした新たな挑戦には、当然プレッシャーも伴います。

田村さん「毎年、当日になるまでどれだけ参加者が集まるか分からず、1年かけて準備してきたイベントが成功するかどうか、やはりドキドキしています。前夜祭から人が集まり始め、土曜日のオープニングセレモニーで会場が満員となった様子を見て、ほっと安心すると同時に、喜びが込み上げてきましたね」

重ねてきた努力とその想いは、来場者にも届いていました。
「楽しかった」「来年も参加したい」という声はもちろん、「遠野の夏の景色を変えてくれてありがとう」という地域の方からの言葉は、田村さんたちにとって何よりの喜びだったといいます。

オープニングセレモニーの乾杯。1年間の苦労が喜びに変わる瞬間

この祝祭の役割について、田村さんはこう語ります。

田村さん「遠野ホップ収穫祭は、遠野という場所にホップという大切な宝があることを地域内外に伝え、持続可能なホップ栽培に向けた課題解決を進める【仲間を増やすこと】を役割としています。実際に、収穫祭に参加した方が数年後に遠野市へ移住したり、ふるさと納税などを通じて活動を直接支援してくださったりと、大きな成果が生まれています」

単なる一過性のビアフェスではない、人と地域を繋ぐハブとしての役割。
未来に続く大きなうねりを生み出す遠野ホップ収穫祭、その中心には、ホップ栽培に関わる農家、多様性のあるビールを生み出すブルワー、地域振興を担う行政機関、地域の食産業に長年関わってきたキリンビール、観光誘客で地域活性化を進めるJR、さまざまな地域事業者、そして私たち飲み手がいます。

このイベントは、その全てが一体となって作り上げる、遠野の新たな風物詩となりました。

田村さん「こうした準備や運営を通じてチームの結束力が強まり、課題解決のさらなる推進にもつながっています」。

遠野ホップ収穫祭が、遠野という地域とホップ生産に関わる人たちに与える効果について、将来にわたって長く続いていくことが期待されています。

2025年の遠野におけるホップの生育状況

華やかな祝祭の裏で、今年のホップ栽培は決して平坦な道のりではありませんでした。

空を覆うように実るホップも近年の暑さや台風、豪雨といった気候変動の影響を受けている

遠野ホップ農業協同組合の方に伺った、今年の生育状況は以下の通り。

「今年は梅雨らしい長雨の時期がなく、シーズンを通して高温で推移しました。生育序盤までは良好だったものの、全体的に降雨が少なく、早期開花の状況となりました。特に7月中旬は降雨が全くなく、下旬もわずかな雨しか降らなかったため、畑は全体として干ばつ状態に陥ってしまったのです」

加えて、この水不足の時期が、ちょうど8月前半に収穫する品種の「毬花(まりはな)肥大期」に重なってしまいました。その結果、毬花が十分に大きくならないまま収穫期を迎え、これらの品種は減収という結果に。高温の影響で花数そのものが少なくなったようで、一つ一つの花は大きく見え、見た目には良好に思えましたが、実際に収穫してみると、想定よりも少ない年だったといいます。

幸い、8月後半に収穫した品種については、8月前半の降雨により一部持ち直したものの、収量が大きく回復するには至りませんでした。

ただし、ここで重要なのは、「収穫量が減ったことと、品質や香りへの影響はまた別の話」という点。
天候により収穫量こそ限られたものの、丁寧な栽培管理によって香りや品質は保たれています。

一つ一つの実に、生産者の苦労と愛情が詰まっている

天候という抗えない困難と向き合い、その中で最善を尽くす。
そんな生産者の苦労があったからこそ、無事に収穫できたことへの感謝と喜びを、皆で分かち合う。これこそが「収穫祭」の原点であり、グラスを掲げる私たち飲み手が、決して忘れてはならない物語なのでしょう。

ホップ博士が語る、日本産ホップの未来

この祝祭の熱狂を、技術面から牽引しているのがホップ博士こと村上敦司さん。
ステージトークで語られたのは、ホップの「常識」を覆す未来への挑戦でした。

村上さん「結局、新しいことを盛り込まないとなんか自分が納得できないんですよね。GOOD HOPSでリリースした12種類のビールには、新しい品種、新しい技術を投入しています。僕らは遠野オリジナルのビールを造りたくて、オリジナルの技術をそこに投入して、オリジナルの品種を作ってるっていうことなんです」。

村上博士が開発したホップの新品種「No Wind(ノー・ウィンド)」「uncountable(アンカウンタブル)」と「compact Green(コンパクトグリーン)」は、それぞれがユニークなフレーバーを持つ、世界で唯一ここにしかないホップです。

例えば、「uncountable」については、数えきれないほどたくさんのフルーツの香りを持つという特徴から。「compact Green」は小ぶりの花に爽やかなグリーンの香りを携えた名脇役として。そして風に弱いことから名付けられた「No Wind(ノー・ウィンド)」は、青リンゴのフレーバーが特徴的ですが、使い方を変えると全く違う表情を出すとか。

田村さんが品種開発の進め方を解説します。
ホップの育種については、まず交配から始まり、できた子どもたちをビールに醸造して初めて、その真価が分かるといいます。

村上さん「ホップを選ぶ際は、ビールにしないとわかりません。ホップそのもので(良し悪しは)わからないんです。わかるって言ってる世界的な研究者は、たぶん一人もいない」

田村さん「ホップ単体ではすごくいい香りなのに、醸造すると変な香りになっちゃうこともありますよね」。

村上さん「中には吐き気を催すような香りもあるんですよ(笑)。濡れた傘を放置したような不快臭。涙が出てくるひどい香りもあるんですけど、ときどきうっとりするような香りをもつものが出てくるので、そちらを期待して育種していくって感じですね。名前をつけてリリースしたのは3品種ですが、育成中のものでいうと……1000はあります。そのうち使えそうなものは2つぐらいかな。それを使ったビールが冬ぐらいに出るかな、というところです。まだ名前もついてないし、どうなるかわからないので、皆さんで飲み比べて楽しんでください」。

それは、途方もない時間と手間のかかる作業。
さらに博士が挑む「新技術」というのは、ホップの加工技術の革新です。ビールの香りや苦味の元となるのは、ホップの毬花の中心にある「ルプリン」という黄色い樹脂。通常はホップを乾燥させてからルプリンを抽出しますが、その過程でどうしてもホップ本来のうっとりするようなフルーツの香りが損なわれてしまうという課題がありました。

村上さん「乾燥前と乾燥後では全く違う世界、フレーバーになるんです。乾燥工程の中でルプリンがもつ香りの成分が化学変化を起こします。乾燥させると、どうしても枯れた草のような香りが出てきてしまう。これが通常のペレット加工を施したホップの弱点。今は海外でもルプリンに着目して、ルプリンを濃縮したパウダー商品も出回っていますが、大体2倍濃縮が限界。我々は3倍〜4倍濃縮しています。ルプリンだけを取り出すことで、ルプリン以外の望まない香りを減らすことができるし、たくさん使えることでホップ本来がもつキャラクターを強く出すことができるんです。ただ、パウダー商品はルプリンとそれ以外の成分を選別するために、水分を飛ばして乾燥させる必要がある。乾燥後に「ふるい」にかけるんです。私の究極の目的は、生のホップからルプリンを取ること。これをやった人は、世界のどこにもいません」。

「キリン一番搾りとれたてホップ」の開発者であった村上博士は、ホップの畑で感じたような香りをビールで再現した、と田村さんが解説します。

ところが水分を含んだままでの抽出は困難を極め、一度は失敗。
しかし、博士は諦めませんでした。ヒントは、遠野の「冬」。

村上さん「遠野の冬って厳しいんですよ。水分は凍りついて、絶対湿度がすごく下がる。凍結乾燥できるんじゃないか、と。遠野の冬の空気をうまいこと活用したら、熱をかけずに(水分を)飛ばせるんじゃないか。そう思ったのが、その次の発想です。それで、ルプリンが取れました!」

この逆転の発想により、ついに世界初の技術を確立。
これによって、雑味のないクリアで個性的な、誰も味わったことのないビールの製造が可能になったのです。

村上さん「回収率はね、悪いです。ほんの少ししかとれません。でも生のホップにかなり近いルプリンがとれました。その非加熱ルプリンパウダーを¬GOOD HOPSではほぼ全部のビールに使っています。そのため、「繊細なんだけど大胆、個性的なんだけど爽快な後味」という相反する言葉が成立するようなビールが成り立っているんです。これが我々最大の秘訣です。この技術はうちでしかやってない。だから、このルプリン素材を使ったビールは、遠野オリジナルのビールということになります。世の中には売っていないものを作ろうとするなら、栽培からやるしかない。まっとうな理由です」。

▲オープニングセレモニーで言葉に力を込める村上博士


GOOD HOPSでは、新品種、新素材は自社だけではなく遠野の他のブルワリーでも使ってもらい、使い道の幅を広げることで、さらに遠野のオリジナリティを高めたいと考えています。

村上さん「過去の自分への挑戦ですよ。キリン時代に開発した『一番搾り とれたてホップ』、それを超えないと、私が¬GOOD HOPSに存在する意味がないと思っています。私自身が過去の自信作を超えたと思ったら、次の展開が待っています」

静かな口調に、研究者としての覚悟が滲みます。

村上さん「ZUMONAや遠野醸造、それぞれ独自の技術や個性があるので、新しい素材と技術を掛け合わせて、さらに上のレベルの遠野オリジナルをつくりたいなと思っています。今日この会場にいながら、来年はどんなビールを作ろうかなって考えています。それにね、皆さんが来ると、農家のみなさんが元気になるんですよ。やっぱり飲み手の笑顔が最高の褒め言葉。だから皆さんも、来年も来ないとダメですよ(笑)」

続いての質疑応答セクションでは、村上さんが好きなビールを問うものから、収穫時期の見極め方や香気成分の分析手法を問う専門的なものまで、さまざまな角度からの質問が寄せられました。

エピローグ:「宝物」が繋ぐ、人と地域の未来

田村さんは、このイベントが持つ力を信じています。

田村さん「この収穫祭は、行政や大手メーカー、JR、地域の事業者などが多くの人々が関わり、実行委員会として1年かけて準備を行います。こうした準備や運営を通じてチームの結束力が強まり、課題解決のさらなる推進にもつながっています」。

その未来を担うのは、若い世代です。村上博士も、次世代への想いをこう語ります。

村上さん「実はフェスティバルシリーズの真ん中「falling in love with」については、もう一つ別の意味も込めています。遠野に移住してホップ栽培を担ってくれる生産者には、若いメンバーがいっぱいいるんですよ。今は独身である彼らが5年先、10年先に『遠野に来てよかったね』って言ったとき、頷きあえる誰かがいてほしい。できれば隣にいてほしい。それが私の夢です。個人的な願いでけど、どうか私の願いを叶えて(笑)。

これから遠野の未来を支えてくれる人たちの幸せにつながっていくようなビールや技術を生み出していきたいと、田村さんも言葉を重ねます。

土曜はどのビールブースも人が途切れず、にぎわいが続いた

もちろん、来場者の増加に伴う交通や宿泊、会場キャパシティといった課題も残っています。しかし、田村さんは「皆様からいただいたご意見をもとに、来年に向けて改善策を協議していきます。多くの方にご支持いただいているイベントだからこそ、より快適で楽しいイベントになるようにブラッシュアップを重ねてまいります」と、力強く未来を見据えています。

村上さん「我々はここで留まっているわけにはいかない。進んでいかなければいけない。この先も、常に新しい遠野を見せようと思っているので、ご支援をよろしくお願いします」

生産者がいて、醸造家がいて、そしてそこに住まう人や私たち飲み手がいる。
遠野ホップ収穫祭は、その全ての輪を繋ぎ、大きな渦を生み出す場所でした。

1杯のビールの向こう側へ。

私たちが「おいしい」と飲む一杯のビールが、この壮大な物語を支え、未来へと繋いでいく。

A Summer Day,  falling in love with  Tono Hops.

今年もたくさんの人々がビールで紡がれたメッセージを胸に刻み、また来年、この愛すべきビールのふるさとに帰ってくるのでしょう。

アバター画像
ライター|編集者

愛知県知多半島出身、大分県大分市在住。
中央大学法学部法律学科卒業後、名古屋と東京の出版社・編集プロダクションで雑誌や広告、販促物の制作に携わり、2010年からフリーとして紙・WEBを問わず数多くのコンテンツ制作を担当。「ビール(クラフトビール)」「飲食」「生活」「地域」「教育文化」の制作多数。キャリア20年にわたる取材現場経験と行動分析学に基づくアプローチで、「思い」を汲み取り、行動心理に訴える表現をご提案します。
好きなビアスタイルはジャーマンピルスナー。

【ビール関連の実績】
書籍『日本のクラフトビール巡り 全国203ブルワリー集合!ビアEXPO公式本』
クラフトビールのECサイト「ビールの縁側」ブルワリーインタビュー
フリーペーパー『静岡クラフトビアマップ県Ver.』
書籍『世界が憧れる日本酒78』(CCCメディアハウス)
雑誌『ビール王国』(ワイン王国)
グルメ情報サイト『メシ通』(リクルート)
ブルワリーのウェブサイトやPR制作等、多数

【メディア出演】
静岡朝日テレビ「とびっきり!しずおか」
静岡FMラジオ局k-mix「おひるま協同組合」
UTYテレビ山梨「UTYスペシャル ビールは山梨から始まった!?」
静岡新聞「県内地ビール 地図で配信」「こちら女性編集室(こち女)」等

この著者の他の記事