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ホップ生産者

古川原さんが大企業を辞めてホップ栽培を始めた3つの理由

「ホップには、もう感謝しかないです」
そう熱っぽく語るのは、横浜市港北区で農業を営む古川原農園の園主である古川原琢さん。

東京大学農学部で土壌物理学を専攻。米国ベイツ大学に留学した後、大手合繊メーカーに営業職として入社しました。航空機用の先端材料の営業やマーケティングを担当。上司からの信頼も厚く、自他共に認めるエース級社員だったといいます。

そんな古川原さんは、2013年に脱サラして新規で就農し、主に露地野菜や花を栽培する道を選択しました。2015年に、あるブルワリーからホップを作ってほしいと依頼があり、カスケードとセンテニアルを栽培することに。2017年から株式会社横浜ビールと横浜産のホップを使って、フレッシュホップビールを醸造する取り組みを一緒に行っています。

将来を約束された大企業を退職し、ホップを栽培するに至った経緯やホップ栽培にかける想いについて聞きました。

2022年ホップ収穫後に大量のホップを持っている様子

2022年ホップ収穫後に満面の笑みを浮かべる古川原琢さん

横浜でホップ栽培を始めた3つの理由

ーなぜホップを栽培しようと思ったのですか?

古川原:3つ理由があります。1つ目は、生の新鮮なホップで作ったビールはおいしいと聞いたから。まず自分がそれを飲んでみたいと思ったんです。やっぱりおいしいものを食べたいし飲みたいですからね。

2つ目は、そういうおいしいものなら、自分の野菜を買ってくれるお客様にも飲んでもらいたい。また、自分のお客様に限らず、ビールが好きなお客様にも飲んで喜んでいただきたいと思ったんです。

3つ目は、おいしいビールを飲むことを通して、横浜でも農業が盛んであるということ。また農家が頑張っていることを知ってもらいたかったんです。

横浜は港町のイメージが強くて、横浜で農業をやっているというと、「横浜で農業ができるの?」と驚かれることがあります。農業もしっかりやっていることを知ってもらうきっかけになったらいいなと思っています。

横浜で農業を営む農家がいて、ビールを造るブルワリーがあって、それらのビールを飲むたくさんの人がいる。だからこそ横浜でやる価値とか意味があると思ったんです。

ーなぜ横浜で農業をすることになったのですか?

古川原:自分は都内出身で、社会人になってマンションを買ったのが武蔵小杉だったんです。そこに住み始めてしばらくした頃に農業をしようかなと思いました。

大学の専攻は理系を選択しました。大学1、2年は教養学部で、3、4年の時に進路を決めます。東京大学の理科一類に入学したので、主に化学や物理学、数学、工学などを専門的に学びたい人が多いです。でも自分は、大学に入ってから化学や物理学に興味がなくなってしまいました。

逆に文系の心理学と哲学の授業がものすごく面白く感じてしまって。本当に自分が好きなことは何だろうと考えていたんです。

当時は、研究者にしかならないと思っていたので、自分の人生でずっと研究したいものは何なのかと考えていました。その時に、自分が本当に好きなことは農業だ、土に触れることだと思い、農学部の土壌物理学に進んだんです。

ーいつ頃から土に触れることが好きだと感じたのですか?

古川原:小学校の高学年から高校1年までは茨城に住んでいました。ちょうど時代的に、郊外に一戸建てを建てて引っ越していく人が多かったんです。それまでは都内の社宅に住んでいたのですが、茨城に一戸建てを買って引っ越しすることになりました。

庭付きの一戸建てで、その庭でいろんなものを育てたんですよね。小さい頃から土いじりが好きで草花を育てていました。その後、親父の仕事の関係で、都内に戻りました。庭はなかったのですが、ベランダでたくさんの植木鉢を育てました。

そういえば、おばあちゃんは畑を借りて家庭菜園をしていました。その影響があるのかもしれません。

潜在的に農業がやりたいという意識があった大学時代

ー将来、農業をやることを想像していましたか?

古川原:自分は覚えてないのですが、大学で周囲の人に自分は定年退職したら、農業をやると言っていたらしいんですよ。潜在的に農業がやりたいという意識があったんですね。

その後、ちょうど30歳になったときに、今だと思い始めました。

ー会社をやめて就農するのは勇気がいることだと思います。すんなり決断できたのですか?

古川原:大学の授業や現場での実地研修で、農業だけだと暮らせないと聞いていました。だから、本当に農業でやっていけるのかと思って、かなり事前準備をしました。

それで、かながわ農業アカデミーに1年通ったんですよ。神奈川県の農業者研修支援施設で、仕事をやりながら週末の研修に通い勉強しました。

研修が終わる頃に「これはできるな」と思って会社をやめたんです。

2015年の頃の栽培した野菜を持ち畑の前で記念撮影をする古川原琢さん

2015年の頃の様子。栽培した野菜を手に持ち、笑顔の古川原琢さん

既存の秩序が壊れ、新しい秩序が生まれる時がチャンスだ!

ー安定した生活を手放して、農業をやろうと思った理由はなんですか?

古川原:3つ理由があります。1つ目が、以前勤めていた会社で自分の仕事の能力に自信が持てたからです。2つ目が、自分の意志を継承してくれる組織を作ろうと思ったから。そして、3つ目が、ちょうどその中で農業にビジネスチャンスがあるように見えたからです。

ずっと独立して起業したいという思いがありました。サラリーマンは嫌いではなかったけれど、独立志向がすごく強かったんです。これも自分では記憶にないのですが、学生の頃、大学の先生にそのように言っていたようです。

自分で言うのもなんですが、以前勤めていた会社では、自他ともに認めるエース級社員でした。すごくいい仕事の役割を与えてもらっていたし、その環境の中でいい仕事もできていたと思うんですよね。上司からは、将来は最低でも役員だからと言われていました。

それらの仕事を通して自分に自信がつきました。担当していた仕事は、とてもやりがいがあり、社会的な意義もありました。でも、自分はもっとできるなと思ったんです。

ーそれなのに、なぜ起業をしようと思ったのですか?

古川原:ちょうどそのころに親父が余命が短いといわれる悪性のがんになりました。うちの親父は酒飲みで、いつ死んでもいいと言って大酒を飲んでいました。でも悪性のがんと診断された瞬間に急にうろたえ始めたんです。俺はまだ死にたくないと。

手術するかしないか。手術をしないと余命半年か1年、手術をしても長くはないと言われていました。結局手術をして成功し、その後7年生きたんですよ。

その時に気付いたんです。親父は自分の人生に満足していないと。自分の人生でやりきったという思いがなかったんだろうなと思いました。

親父のうろたえる様子を見て、以前読んだ経営書『7つの習慣』に書かれていることを思い出しました。その一節が、「あなたが葬式の時に周りの人に自分のことをどのように思ってもらいたいか想像してみてください」。それがまさにあなたの人生で達成すべき目標なんだよと書かれてあるんです。

それで、自分が人生をかけて何をすべきなのか考えました。自分が死んだ時に、自分が理想としたこと、良いと思ったこと、それらの意志を引き継げないか。そういう組織を自分が作って残せたとしたら、それは自分が死んだとしても自分がこの世の中に想いを残して死ぬことにはならないんじゃないかなと思って。

農業は、ものすごい斜陽産業で、先行きは暗いのが事実です。でも逆にいうと、既存の秩序が壊れる時って、新しい秩序が生まれるものです。そのゲームメーカーになれれば勝てるかもしれない。ものすごいチャンスだなと、やるんだったら今しかないと思ったんです。

農家が野菜を作ってもニュースにはならないが、ホップなら全国的なニュースになる

ーそれで新規で農業を始めて、まさかホップを栽培することになるとは!すごいご縁ですね。

古川原:本当ですね。ホップには、もう感謝しかないです。ホップを育ててみないかと言われた時、「いい意味で自分の宣伝になる」という考えは、正直ありました。

どういう意味かというと、7年前はホップを作っている農家がほとんどなかったんです。農家が野菜を作っていてもニュースにはなりませんが、ホップを栽培しているのは珍しいことです。だから、これは全国的なニュースになるとその時に思いました。

ー自分からメディアにアプローチしていたのですか?

古川原:アプローチしたことはゼロではないけど、どちらかというと自分の周囲の人が推薦してくれた影響が大きいです。

2017年に横浜ビールで造ってもらった最初の年にやっと地域紙で取り上げられたんです。

2019年には、テレビ神奈川の番組に出演できました。やっぱり農業の業界でテレビにでた影響は大きかったですね。

2022年は、全国放送の番組で取り上げられました。こういう機会は本当にありがたいです。自分は、ホップに育てられたと思っています。

2022年のホップ収穫にボランティアで参加してくれた人と記念撮影

2022年のホップ収穫に参加した横浜ビールのスタッフとボランティアの皆さん(一番右が古川原さん)

本来、称賛されるべき対象は、本業でホップ栽培をしている産地の生産者だ

ー今後の目標があれば教えてください。

古川原:農業は斜陽産業。だからこそチャンスがあると思います。ホップ栽培を始めた当初は、地域の農業に貢献ができたらいいなと思っていました。でも、今は自分が貢献できることや、社会的な役割がだんだん広がっていると感じています。

ホップを栽培して、ビールを造っていることが、ニュースではなく番組の特集で紹介されたのは、今まであまりなかったのではないかと思います。そういう意味で、日本のホップ生産者の中で自分が果たすべき責任が分かってきた今日この頃です。

テレビに出ても自分の宣伝だけで終わるのではなく、ホップ生産者の認知向上につながっていくといいなと思います。

これらの取り組みで本当に救われないといけないのは、産地のホップ生産者なんです。称賛を受けるべき対象は、本業でホップ栽培をしている産地の生産者で、その人達のいる場所がホップの「聖地」だと思います。その「聖地」とホップ生産者をもっと盛り立てるために、みんなで力を合わせるべきじゃないかなと。

その他で栽培している人達は、脇役に過ぎない。自分はあくまでも脇役です。
ただ、脇役でもそれなりに盛り立てられたらいいなと思っています。

古川原琢 プロフィール

1981年東京都生まれ。東京大学農学部卒業後、東レ株式会社で先端素材の営業・マーケティング、生産管理に従事。 2011年に農業を志し、退職。2013年に古川原農園を横浜市に開園。現在、1ヘクタールで年間約50品目の有機野菜を栽培し、主に都内自然食品店で販売している。新規作物や新技術の開発も多く手掛けている。

ホップ栽培を通して親交が深まったスプリングバレーブルワリーの田山さんと畑で記念撮影

古川原さんのお気に入りの一枚。ホップ栽培を通して親交が深まったスプリングバレーブルワリー東京のマスターブリュワー田山智広さん(右)と



ビアジャーナリスト

ビールと551の蓬莱とお笑い好きの関西人
ホップにハマりすぎて、全国各地のホップ畑にホップを摘みに行くほどに!
ついたあだ名が「Hop Saijo」
夢は、チェコでビール風呂に浸かりながら、蛇口から出てくるビールを好きなだけ飲んで、イグサのベッドで昼寝すること。

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